◇ ◇ ◇  0  ◇ ◇ ◇



私、鏡鈴沙(かがみれいさ)は、いわゆる普通の女子高生だ。
普通の共学生の高校に通い、普通に友達を作り、普通の成績をとり、若干運動面は普通より上だが、普通に授業を受け、普通に恋愛をし、普通に親に反抗し、普通に生活していた。
私が普通をどういう定義で普通と言っているのかは定かではないが、別にそういう事を深く考えた事はない。
そんな女子高生。
そんな学校生活。
そんな現実世界。
そんな・・・代わり映えのしない日常。
飽きてなどいない・・・と言えば嘘になる。
だからといって、それを打破する策を普通の女子高生程度が持っている訳もなく、しかたなく今の生活に肩までどっぷりつかったまま、そのぬるま湯の世界を堪能している。
代わり映えしないというのは、平和だとも、退屈だともとれる。
けれど、それだけ。
ただ、そういう観点が存在するというだけの話。
それは善者か偽善者かの違いのようなもの。
観点の違い。
認識の相違。
だから、私はこの生活が逆に気に入っていると言っていいのかもしれない。何も特別な事が起きないのなら、私は特別な存在などでなく、普通としていられるのだから。
だけど。
今思えば、あの出来事の後から私は、その普通という生活を完全に完璧に羨望の眼差しで見るようになっただろう。
普通という普遍に憧れた。

あの兎に会うまでの世界と、あの兎に会うまえの世界。

文字にすれば一文字の差だけれど、それは私にとって、今までの人生そのものの普遍を打ち崩された事件だった。
だから、ゆっくりと語ろうと思う。
長い年月をかけても、この物語が完結しえるとは思わないのだけれど、乖離なく限りなく近い形で語ろうと思う。きっと、それは私の義務であって、権利であって、私にとって普通のことなはずだから。
でも、これだけは最初に言っておきたい。
今、普遍の普通な世界を生きている人達へ。

平常で平和で平穏で平静な世界に、幸あれ。



◇ ◇ ◇ 1 ◇ ◇ ◇



梅雨あけの六月後半。
授業を受けながら私は窓の外を見続けている。快晴といえない曇り空を眺めては、グラウンドから聞こえる生徒の声に耳を傾ける。けれどその行為は特に意味もなくて、単なる授業からの現実逃避にしか過ぎない。
「こら鏡、集中しろよー」
先生が言う。
私はしかたなく授業の意識を向ける、フリをする。どうせ皆同じようなものだろう。どうせ社会にでても役にたたないような知識ばかり覚えても意味が無い、なんて考えて、でも受験には必要だと割り切る事も出来ず、授業に身が入らない。
なんの事はない。ごくごく一般的な高校生の思考回路だ。
「つまりー、この時代での風潮が今の社会にも見えてきているわけでー」
なんて。
先生は黙々と授業を続ける。
意味は・・・あるのかな・・・。
先生、みんなちゃんと聞いてると思ってるのかな。もちろん、全員が全員授業を放棄しているわけじゃないけれど、高校二年生というはっきり言って、勉強に対する意識が微妙な私たちに、一体どんな期待を抱いて授業しているんだろう。
無駄な事、だとは言わないけれど。
無謀な事・・・かも知れないよね・・・。
なんて。
私が言う資格はないのだけれど。所詮こちら側の私が言える訳もないのだけれど。理由も、資格も、権利も、無い。
だからかな。
授業の時間は進むのが遅い。時間の針が止まって見える。私の知らない所で巻き戻ったり止まったり、逆に進んだりしてるんじゃないだろうか。時間の流れに疑問を感じる。
・・・・・・授業に集中しろよ。
隣の友人はもはや完全な授業放棄。
爆睡中だ。ちょっと、よだれよだれ・・・。
まあ、いいか。私じゃないし。しょせん、他人だし。友人だけど、他人だし。赤の、他の、人だし。
冷めてるな、私って。
いいけど。
聞き慣れたチャイムの音が学校に響く。
古びた校舎と、古びたチャイム、それにあわせるように、歪んだ音を出す古ぼけたスピーカー。それが良い事か悪い事かは分からないし、分からなくてもいいけど、古い事だけは事実。それだけ。
「よーし、じゃあ終わるか。各自復習しとけー」
先生はそう言って教室を後にする。
名残もなにもない。欲しいとは言わないけど、ないとないで虚しい、微妙な感覚。
休み時間はやけに時間が早く進む。隣の友達は授業中に溜めた力を十二分に発揮してはしゃいでいて、私の方も彼女の話を聞いて時間が進むのが早く感じていた。
ふと、時計を見る。
時刻は2時17分15秒。
長針を秒針が追い越し、あと三分もすれば授業が始まる時間だ。また退屈な時間が始まる。
そう、思ってた。
けれど。
あまりにも唐突に。
あまりにも理不尽に。
そして、あまりにも不明瞭に、退屈は崩れた。
短針が、時針が、長針を、分針を、追い抜く。
見事なまでの軽快さで、すれ違う。
一回、二回、三回、四回・・・。
回る回る。くるりくるり。ぐるぐるぐるぐる。
序々に針は速度をあげていき、目で追えなくなる。
わけが、わからない。
今、現在起きている事への、認識が働かない。
働くはずがない、脳が現実を拒絶する。
異変よ去れ、と。普遍を求める、と。
根絶し、排除する。
意識が、しっかりと、保てない。
苦し紛れに、ふと、時計から目を外す。
また、退屈が崩れる。
時計の針の早さに、比例して、

世界の速さが変わる。

周りがもの凄い早さで動く。動く。
止まらない。目に留まらない。世界が停まらない。
どんどん速度を上げていく。
速度が落ちる気配はない。
やばい、意識が朦朧としてきた。
ぐるぐる、ぐるぐる。
回る回る。時計は回る。止まらない。
動く動く。景色が動く。留まらない。
変わる変わる。世界が変わる。私の常識で停まらない。
そして、またそれは唐突に、
止まる、留まる、停まる。
全てが停止する。全ては底止する。
打って変わって静寂が訪れる。耳が痛い。
静まり返った世界。
耳をつく静寂。
混乱が頭を揺さぶる。
痛い痛い。
退屈が嫌だと願ったから?
平和が嫌だと願ったから?
そんな思考は生まれない。
ただ、混乱し、困惑し、混迷する。
ぐるぐるぐるぐる。今度は脳が回る。
思考が追いつかない。視線ばかり泳ぐ。
停まった世界。動かない時間。立ち尽くす友人。真っ暗な空。歪んだ針。曲がった教室。色の無い黒板。落書きの落書き。ありえない私。見覚えのない世界。混乱の象徴。
そんなわけのわからない世界に、彼はいた。
白いズボンに白いカッターシャツ。白い靴下に白いブーツ。白い杖に白い帽子。
唯一、その帽子に巻かれているバンダナだけが、赤い。
純白の赤。そんな形容。
目の痛くなる白は、このわけのわからない世界に見事に溶け込んでいなかった。
だからだろうか、私の思考はすこしだけ、ほんの少しだけ、落ち着いた。もちろん、混乱はまったく解けてはいない。
「あんた・・・誰?」
男はにこりと微笑む。
そして、返す。
「兎です」
真顔でそんな事を言われた。
「・・・うさぎ?」
「ええ、兎」
笑みをくずさぬまま、答える。
驚きは少なくない、けれど、それは絶対的な感想。相対的にみれば、今までの出来事と比較すれば、ささいな事・・・だと思う。
「選ばれました、あなたは」
「は?」
「いや、むしろ選ばれるべくして選ばれたと言ってもいいかもしれません。どちらにせよ、私の及ぶところではありませんが」
「・・・」
人を置いてけぼりにして話を進める・・・自称うさぎ。
いや、人間じゃん。どっからどう見ても。
・・・名前、か?
「とにかく、選択肢はありません。それだけ伝えに参りました」
「選択肢?え、なんの話?」
話の内容がまったく掴めない。
こいつの意図も掴めないし、言ってる意味も分からない。
もう、食い違いもいいとこだ。
いや、この場合、私は食ってないか。一方的に食われてる。
「これは忠告であり、警告であり、助言です」
「・・・」
もう、言葉が無い。
反論も、質問も、こいつは聞き入れない。
直感が、告げる。
「もうじき始まりますよ。どうか迷わないように」
「・・・」
気づく。
そいつの背後の空間の異変に。
空気が、いや、空間が、裂けている。
縦に、一筋の切れ目が現れて、ゆっくりと広がる。
「最後に一言だけ言っておきます。これは忠告でも、警告でも、助言でもありません」
空間の裂け目はやがてそいつの体を覆える大きさになり、そいつが、一歩さがる。
「私は貴方の、味方ですので」
ひゅん、と。
空間が閉じた。
何も残らない。
同時に、世界が戻る。
「鈴沙、どうしたの?」
友人が声をかけて来る。
当たり前の事が、当たり前に起こっている。
普通の時計、普通の景色、普通の世界。
今までの事が嘘だったかのような景色。
でも、言っている。
感覚が、直感が、言っている。
あれは、現実だ。
「・・・」
戸惑っていないと言えば、嘘になる。
けれど。
あいつの最後の言葉。
(私は貴方の、味方ですので)
それが、妙に頭に残って、離れない。
期待している・・・事も、なくはない。
なにも知らない人物。なにも知らない世界。
それでも、あの言葉は強かった気がする。
強く、堅く、頑に、私の中に飛び込んできた・・・と、思う。
曖昧なのは仕方ない。曖昧だったのだ。なにもかも。
むしろ理解しろという方が土台無理な話だ。
だから私は。
無視した。
全て、無かった事にした。
「うーん、なんか夢みたみたい」
えー、心配して損したよ。と、隣の友人は笑った。
私もつられて笑った。
心は、笑ってなかった。



 ◇ ◇ ◇ 2 ◇ ◇ ◇



結局。
昨日のことを夢だった事にして忘れるなんて、出来るわけもなく、微妙な違和感を引きずった日常を私は過ごしている。
そりゃあそうだ。
あんなことを忘れろってのが無理な話。
無理難題。無茶苦茶だ。
そもそも何が起こったのかすらきちんと把握できてさえいないいっていうのに・・・。
今の現状はしかたがない、というのが現状だ。
しかたない、という現実逃避。
分かっていると思うが、私はいままでこんな奇妙な事件にあった事のある不思議少女でもないし、奇怪な出来事ばかり惹きつける主人公体質でも、ない。
そんな経験は今までの人生で一度もなかった。
普通に普遍に平穏に暮らしていたから。
暮らしていたはずだったから。
まあ、その私を支えていた微かな希望ですら、昨日の事件で足元から崩されてしまったわけだが。
「おはようございます」
だから、学校に登校中の私に、あの純白の赤、自称兎の全身白男が現れて、いきなり気軽な声で挨拶をされた事で、私は相当絶望していただろう。
この、意味不明な現実に。
「あんた・・・一体なんなのよ・・・」
少々、呆れ気味に問いかける。
「昨日申し上げた通り、兎でございます」
返事は変わらない。
兎、か・・・。
「ウサギ目に属する草食哺乳類の総称であるが、多くの場合、ウサギ目のうち耳の小さいナキウサギ科を除いたウサギ科の動物のみを指し、外敵から身を守るために発達した四方に旋回する大きな耳と、脱兎の如(ごと)くなどと例えられるような俊足ぶりや、遠くの音を聞くために立って音を聞くことが出来るように発達した長い足が特徴的であり、門歯が伸びることなどから古くはネズミ目に類縁が深いとされている、うさぎです」
「そんな説明いらないよ!ていうか長いよ!」
なかなかの面白いキャラだった。
いや、面白い兎だった。
「というのは本気で」
「冗談だろ」
「お迎えにあがりました」
「・・・」
私は学校に送迎された記憶はまったくない。
というか、こいつは徒歩だ。いきなり現れたあたり、私を先回りしていたとしか思えないが、とにかく乗り物に乗って現れたわけじゃない。
「学校くらい自分で行けるわよ」
「学校・・・?一定の場所に設けられた施設に、児童・生徒・学生を集めて、教師が計画的・継続的に教育を行う機関で、学校教育法では、小学校・中学校・高等学校・大学・高等専門学校・盲学校・聾学校・養護学校および幼稚園を学校とし、ほかに専修学校・各種学校を規定している学校の事ですか?」
「それはもういい!」
「はて。てっきり昨日の事を経験した貴方なら、私が案内する先が学校などという陳腐なところだとは思い浮かばないはずですが」
「う・・・」
そうなのだ。
昨日の今日で理解出来るはずもないのだが、こいつはそういう存在なんだろう。
だって、空間を裂いて去っていったんだから。
そんなありえない事が出来るのは、ありえない存在だからだ。
「ていうか陳腐っていうな・・・」
必死の抵抗を見せるが兎は構わない。
「時刻が少し早くなっています。今落ちないと向こうとの時間軸がずれてしまいます」
「まって。まってまって。きちんと説明してくれないと何がなんだが」
分からない、のではなく。
分かりたくない。
常識を覆さないでくれ。
「説明してる暇はありません。時刻がずれてしまいます」
そう言って自称兎は私の手を取って走る。
「ちょ、待ちなさいよ、訳わかんないって」
「説明なら落ちてからゆっくりして差し上げます。今は時間がないのです」
落ちる?
落ちるってなによ。
なにからなにまでこいつの言葉は分からない。
とにかく急いでいるという事くらいしか理解出来ない。
走る走る。
そこで異変に気づく。
またも、退屈が崩壊を始める。
「え・・・?」
周りの景色の流れていく速度が、昨日の出来事のように序々に序々に速くなっていく。
否、私達の走る速度が上がっている。
「ちょっと、これどういう事よ!」
「時刻が早まった分向こう側の時間に合わせているんです。あまりしゃべらないように。舌をかみますよ」
速度の上昇は止まらない。
風景がにじむ。
全ての建物が私達を避けていく。
直進を続けている。
「違います。彼らが避けているのじゃありません。空間軸をずらして曲がり角を直線にしているだけです。とにかく、時間がないですから」
もう、この際どっちでもいい。
どっちでも、理解は不能だ。
景色はもうただの壁になりつつある。
世界が急ぐ。
向こう側を追いかける。
兎が走る。
時計を追って。
時間がない、時間がない。
呟き、走ち続ける。
世界が走る。
私の思考は止まったまま。
私の身体は意思に反して。
私の意志は世界に順じて。
そしてまたも唐突に自称兎が言う。
「そろそろ追いつきます。追いついた時点で向こう側に落ちますので、気をつけて。ああ、時間がない」
「だから落ちるってどういうことな―」
そこまで言って、身体が止まる。
いや、世界が止まった。
正確には、進む向きが前から変わり、垂直な真下へ、落ちる。
ひゅん。
純粋な落下運動を始める。
その直前、兎は言う。
「それでわ、また向こう側で会いましょう」
そう言って、空間に消えた。
私は置いてけぼりだ。
いや、それは少しニュアンスが違う。
ものすごい速度で世界を落下しながら、私は落ちてけぼりにされた。



 ◇ ◇ ◇ 3 ◇ ◇ ◇



覚えているのは、落ちた、という事実だけ。
あと感覚。
重力に身を任せた落下の感覚。
体が覚えている。
でもそれだけ。
分からない。
一体ここは、なんなんだろう。
彩度の低い赤と白のチェック柄の壁に、それぞれ形の違う、無数の時計がぶら下がり、あるいは立てかけられ、あるいは転がっている。
全ての時計の時間はひとつとして同じものはない。
無造作に散らかった時計の針も、無造作に動いている。
「なんなんだろう、ここ」
まあ、正確にはどこなんだろうだけど、ニュアンス的には、なんなんだろう、で合ってると思う。
とにかくわけ分からない状態である事を伝えたいだけだ。
チクタクチクタク、カチコチカチコチ。
時計の音は止む事なく、私の混乱もあんまり落ち着かない。
まあ、それは思考の混乱。
表面下での知識の食い違い。
「とりあえず・・・突っ立っててもしょうがないか」
だからそういう行動にでた。
行くあてはある。
というか、この部屋には一つしか扉がないし、そのほかには窓もないし、小さな穴さえない。
結局、この扉を開けるしかないのだ。
ある物語に準じているなら、この先小さな扉が連続して私を迎えるんだろうなとか、考えながら、取っ手に手をかける。
ガチャリ、と捻り、扉を押す。
「・・・・・・あれ?」
扉は続かなかった。
代わりに大きな部屋に出た。
内装は変わらない。
彩度の低い赤と白のチェック柄の壁。
けれど、時計は整然と並んでいる。
均等な感覚で、ある物の上に。
「えーっと・・・・。どれに入れと」
それは扉。
無数の扉。
大きさや形や色や材質の異なる扉が十三。
円形の部屋の壁際に整然と並んでいる。
そして、その扉の上には、時計。
「なんなのよ・・・」
もう、わけのわからなさには慣れてしまった。
だから、自称兎がいきなり背後から現れたからって、あんまり驚きもしなかった。
「ここは、世界のロビーです」
「・・・あんた、どこにいたのよ」
「あれ、意外にも冷静ですね」
なんて事を言いながら、私の横に並んで立つ。
真っ赤なリボンが目に痛い。
「もう、いい加減慣れたわよ・・・。不本意だけど」
「いいえ、世界にとっては本望かと」
「ま、そのわけわかんないしゃべり方はどうにも気になるけどね。洗いざらい説明してもらいましょうか。兎さん」
私は振り向いて言う。
「ええ、説明します。貴方の問いかけに対してなら」
「ふーん。また妙な言い回しね。まあいいわ。まず、ここはどこなの?」
「世界のロビーです」
きっぱりと言う。
「私に分かる言い方で説明しなさい」
「おや、いきなり強気になりましたねアリス。少し混乱が落ち着いたらもう怖いものなしですか」
「それはなに?皮肉なの?それに私の名前は鈴沙。アリスなんて名前じゃないわよ」
「いいえ、貴方はアリスです。鈴沙、とお呼びした方がいいのでしたらそう致しますが」
なんか、私の名前を呼ぶのは妥協案らしい。
なんでだ。
「いや、だからそもそもアリスってなによ。私は私でしょう?」
「ええ、貴方は貴方。貴方はアリスです。鈴沙と言う呼称は貴方のご両親がつけた文字に過ぎません」
「なによそれ。別に親を擁護する気はないけど、私は私。私は鈴沙。そこは譲れないんだけど」
少しばかりムキになって反論するが、兎にとってはやはりどうでもいいことらしい。
そもそも兎はこちらを向いていない。
正面を見据えたまま、話を続けている。
「まあ、いいでしょう。あなたのことは鈴沙と呼ぶ事にします。それでいいですか鈴沙」
「ええ。そうして頂戴」
本題があった。
「兎さん、ここがどこなのか分かるように説明してくれるかしら」
兎はこちらをようやく向いて話し始めた。
「ええ、分かりました。まずこの世界の存在から説明しましょうか。そうですね、分かりやすく言うと・・・鈴沙、平行世界という概念は分かりますか?」
「平行・・・世界」
なんとなくは分かる。
この現実世界と別に、現実の世界があるという考え方。
「まあ、なんとなくは。SFの世界のようなものでしょ」
「簡単に説明するなら、平行世界とは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)のことです。並行世界や並行宇宙、並行時空とも言われたりします。そして、その平行する世界は無限の数存在し、全ての世界が現実であり、全ての世界が平行なのです」
「・・・まあ、簡単に頼むわ」
そして、と兎は続ける
「その無限とされる世界の中でも、最も実現性の高いものが十三世界存在します。その中の一つが、鈴沙が現実としている世界です。主に、科学が急激な進歩を遂げている世界。他にも、科学と称されはしないものの、似たような世界も存在しますが、今のところ実現性の高い世界は鈴沙の現実世界だけです」
「私達の世界はその十三の世界のうちの一つ、という事よね」
「そうです」
「じゃあ・・・」
と、部屋の壁、否、十三の扉を指差す。
「あのうちの一つが私達の世界に繋がっている、という事?」
「ご名答。その通りです」
兎は笑顔で言う。
多分心の底からは笑っちゃいないんだろうけれど。
「そして、残りの十二の扉にも、それぞれ十二の現実世界が繋がっています。そしてここが全ての現実世界へと繋がる部屋、世界のロビーという事です」
「・・・」
分かった。
世界のロビー、その単語の意味することは分かった。
学校の授業をそんなにまじめに聞いてなくても、普通の生活を送ってても、今の話は分かる。
理解、出来る。
だから、次だ。
「で?私はなんでここにいるの?」
「鈴沙、貴方がアリスだからです」
「アリス・・・・・・・ねぇ」
この兎は毎回毎回、分かりやすいように説明しろと言わないと、妙な言い回しをしてくるんだろうか・・・。
「で?なんでアリスがここにこなくちゃいけないわけ?」
だから、私は、私が私でない理由を無視する事にした。
「何を私にしろって言うの?」
「世界を救ってもらいます」
「・・・・・・・・・・・・・・はい?」
はい?
思わず地の文でも聞き返してしまった。
世界を、救う?
何よそのアニメみたいな設定。
突然すぎて笑うしかない。
「あんた・・・私になにを期待してるのよ」
やや苦笑気味に言ってやる。
あまりにも出来すぎた小説のようだ。
突然自分の知られざる能力を伝えられて、その能力で世界を救う不思議少女ってところか。
出来すぎだ。
ほんと、笑うしかない。
「別に期待はなにもしてません。貴方は貴方であればいい。アリスという存在に意味があるのです」
それはなんか、笑えない。
「ただし貴方は選ぶ権利だけはある。あなたは開く扉を選んでいい。もちろん、元の現実世界の扉を開けてもいいし、別の扉を開けてもいい。それは貴方次第だ鈴沙」
最後だけは鈴沙なんて呼びやがって。
私は私じゃなくてもいいのかよ。
アリスであるだけで、私でなくていいのかよ。
「だから、私はもう消えます。先に別の世界で待っていますので」
すぐに消えた。
あっけなく。
余韻も何もなく、一瞬で。
「ちょっと・・・」
一人にしないでよ、こんなわけわかんない所で・・・。
不安になったのもあるし、混乱のまま終わったって事もある。
だからかどうか知らないが、私が私じゃなくても、これだけは言えると思う。
「結局、どうしろと?」
虚しく、部屋の木霊した。



 ◇ ◇ ◇ 4 ◇ ◇ ◇



私は呆然と立ち尽くすしかなかった。
目の前には13の扉が、今か今かと開かれるのを待っている。
13の世界に繋がる13の扉。
「大体、十三の現実世界ってなによ・・・」
現実世界は現実世界でしかない。
私の思い浮かべる現実世界とは、確かに一つしかない。私にとっては普通とされる、朝起きて朝食を食べ、学校へ行き、授業を受け、部活動のある者が部活へ行き、放課後友達と遊び、家に帰り、ご飯を食べ、風呂に入り、弟とテレビの取り合いをしたりして、布団に入り、一日が終わる。
当然として存在する、普通、という世界。
私にとっての、現実世界。
確かに、私にとっての現実世界はソレだ。それに間違いはない。
けれど。
私じゃない者にとっての現実世界。否、私にとっての現実世界以外の者にとっての現実世界とは、私のソレとは違い、また別の現実世界として当然のように存在するのだ。それが、平行世界という考えの根底。
別の世界がある事が、この世界がある事への証明。
昔、テレビで聞いた事がある。
「例えばの話ですよ」
あれはSFの関係の番組だっただろうか。
「仮に私たちの世界以外の世界があったとしたら、その世界の何者かも私たちの世界を認識しているのですよ。もし、この状態になれば、もはや卵と鶏の話と同じ。どちらが先に認識したのか、そんな事は分かりません。けれど、お互いに認識しているという事実。つまり、平行世界の概念とはね、もはや信念にしか過ぎないのだよ。あると思えば、ソチラの世界の何者かも、コチラの世界の存在を認識するし、ないと思えば、ソチラの世界の何者かも、コチラの世界の存在を認識できない。不可知論、とトマス・ヘンリー・ハクスリーは言いましたか。それに可知論が合わさったようなものですかね」
そんな事を言っていた記憶がある。
なら、私はもうこの世界の認識に堕ちた。
この意味不明な世界の事情を認識してしまった。
なら、この世界は私を認識している。
だから・・・・どうしたと言うのだ。
兎は言った。扉の中の私の現実世界への扉を開ければ、私は私の世界に戻れる。もちろん、どの扉かは分かる。扉に名前が書いてある訳ではない。感覚として、認識はできるのだ。
だから、その扉を私があけてしまえば、この意味の分からない世界からはさよなら出来るのだろう。おそらく、出来るはずだ。これも感覚がそう言っている。
いつも通りの生活に戻り、いつも通りの生活を送り、いつも通りの生活に浸かり、いつも通りの生活に溺れ、いつも通りの生活に埋もれ、いつも通りの生活に塗れ、いつも通りの生活に支配される。
それは・・・私の望んでいるはずの結果なはずだ・・・。
それは・・・・・・・・・本当に・・・・・・・・・そうなのだろうか。
私の手は、一つのドアノブを握っていた。
時計の針は6つ。数字は6つ。左から数えて8つ目。右から数えて6
つ目。赤い古代ギリシャのような装飾が施された大きな扉。ゆうに私の身長の二倍ほどはあるその扉のドアノブを、握っていた。
「何が救ってほしい、よ。方法も手段も理由も根拠も言わずに要求だけ通して消えるか普通。あのくそ赤兎が」
言葉の怒りと反して、心は静かに落ち着いていた。
手に汗は握らない。心は未知に震える。
「いいじゃない、救ってやろうじゃないの。そろそろ普通の生活には飽き飽きしていた頃なのよ。なんの利益も刺激もないあの世界じゃ私は死んでるも同然だったしね」
結局、救ってやるだなんて言っておきながら、私は自分自身の好奇心に負けていただけだったんだろう。
既知への絶望。未知への興奮。
「この先の世界が私の知ってる世界とほとんどなにも変わらなかったら知らないわよ、あの兎。取っ捕まえて鍋にして食ってやるわ。ええ、いいじゃないの。上等よこの世界。待ちわびた。漫画やアニメみたいだと馬鹿にしていたわ。ええ、もちろん今でも心の底から馬鹿にしてる。こんなベタベタな設定なんて心から笑うしかないけど」


「―――心の底から心底楽しみに始めるとするわ」

ドアノブを捻る。
勢いよく扉を開け、一歩踏み出す。
床の感覚はない。
沈みながら前へ進む。
暗闇に見える無色の大地。
私は、落ちている。次の世界へ落ちていく。
私の意思で。
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